甲冑 鎧 兜 具足を紹介するサイト

甲冑・鎧・兜・当世具足・戦国武将フィギュアのサイト


甲冑の画像

甲冑画像 No.1

甲冑画像 No.2

甲冑画像 No.3

甲冑画像 No.4

甲冑画像 No.5

甲冑画像 No.6

甲冑画像 No.7

甲冑画像 No.8

甲冑画像 No.9

甲冑画像 No.10

甲冑画像 No.11

甲冑画像 No.12

甲冑画像 No.13

甲冑画像 No.14

甲冑画像 No.15

甲冑画像 No.16

甲冑画像 No.17

甲冑画像 No.18

甲冑画像 No.19

その他の武具、軍装品

他武具 No.1

他武具 No.2

他武具 No.3

他武具 No.4

他武具 No.5

他武具 No.6

他武具 No.7

他武具 No.8

他武具 No.9

足軽シリーズ

足軽胴 No.1

足軽胴 No.2

甲冑の知識

具足構成

用語辞典

甲冑紀行

展示情報

書籍紹介

甲冑の話題

武将フィギュア

甲冑随想

リンク集



甲冑 鎧 兜 具足を紹介するサイト

〜 具足櫓 〜

甲冑・鎧・兜・具足・
戦国武将フィギュアのページ

本ページの文章・画像を許可なく
転載・複製・引用・加工する
ことは一切禁止いたします。

© All rights reserved.


許可なく画像・文章を転載、複製、引用、加工する事は禁止します。


SAMURAI OF THE MOMOYAMA PERIOD (JAPAN 1574-1602)
(ROMEO MODELS 54mm)

▼ 商品画像 ▼

甲冑 槍武将


【キット内容】
ROMEO MODELS 製 の「SAMURAI OF THE MOMOYAMA PERIOD (JAPAN 1574-1602) (54mm)」です。
材質はホワイトメタルです。
キットの胸取胴を利用して、今回は前田利家(まえだとしいえ)のものと言われる胸取胴の甲冑に改造してみたいと思います。
この甲冑は2002年に名古屋の観音寺(かんのんじ)で発見されたもので、発見された時はバラバラに壊れた状態だったそうです。
お寺に伝わる「浄海雑記(じょうかいざっき)」と言う書物によれば、前田利家(まえだとしいえ)が1576年に越前(えちぜん=福井県)府中城(ふちゅうじょう)に入城した時に着ていた甲冑とされ、壊れる前の状態が絵図で記載されています。

【兜】
絵図から推測すると、一枚ジコロ烏帽子形兜だったようですのでそのようにしてみます。
ただし烏帽子形兜は土台の兜鉢しか残っておらず、どのような形状の烏帽子だったのか詳細は不明ですのであくまでも絵図からの想像です。
兜の下に髪の毛を追加します。

【面具】
残欠として板札の一部のみが残っているようです。
絵図には「猿頬」の目下頬との記載がありますので、それっぽく作ってみます。

【胴】
は削り取り、横矧桶側胴にします。
なおは腰の所で上下に切断し、全体の長さを伸ばします。
草摺素懸威になっていますので毛引威にします。

【腕】
は絵図にある額袖に改造してみます。

【足】
臑当越中臑当にし、ホ具摺を追加します。

【その他】
キットは板合当理丸受筒となっていますので、一般的な合当理角受筒に改造します。
打刀に納め、代わりに朱柄槍の十文字槍(じゅうもんじやり)を持たせてみたいと思います。
なお打刀は前田利家(まえだとしいえ)が桶狭間の合戦(おけはざまのかっせん)に使用したと言われ、今は尾山神社(おやまじんじゃ)に納められている打刀に、背中の指物は前田利家(まえだとしいえ)の自身指物と言われている「総金(そうきん)の」に改造してみたいと思います。







▼ 完成品 ▼

甲冑 槍武将(改1) ヒストリカルフィギュア 甲冑 槍武将(改2)

甲冑 槍武将(改3) 甲冑 槍武将(改4)

甲冑 槍武将(改5) 甲冑 槍武将(改6)


【製作後記】
草摺佩楯の洒落(しゃれ)た意匠(いしょう=デザイン)は、若い頃に傾奇者(かぶきもの)と呼ばれていた前田利家(まえだとしいえ)が着ていたとしてもおかしくない感じもします。
「総金(そうきん)の」は実物の寸法を1/32にして作ってみましたが、あんなに切り込みが入っていると風のない時は全てダラリと下がってしまっていたのではと思いました。
額袖の金と朱(しゅ)の丸を大きく描き過ぎました。
籠手掛の管籠手付綰は見えないと思って省略したのですが、作り込んでおけばよかったです。
一般的に額袖が登場するのは前田利家(まえだとしいえ)が活躍した時代より大分(だいぶ)後になってからだと言われています。
額袖が実は通説よりももっと早い時代から存在していたのか、あるいは「浄海雑記(じょうかいざっき)」が書かれたのは1800年代とされているようですので、それまでの間に持ち込まれた(あるいは甲冑自体も?)なのか、詳細は不明です。
額袖以外にも、1576年から8年後の1584年に前田利家が着ていたとされる甲冑(前田利家(Ver.B))には背中に合当理が無く、腰指を使っていたとされる点、二枚胴である点も含めて、この甲冑の伝来については謎が多いと思います。


フィギュア一覧へ戻る


| 甲冑画像No.1 | 甲冑画像No.2 | 甲冑画像No.3 | 甲冑画像No.4 | 甲冑画像No.5 |
| 甲冑画像No.6 | 甲冑画像No.7 | 甲冑画像No.8 | 甲冑画像No.9 | 甲冑画像No.10 |
| 甲冑画像No.11 | 甲冑画像No.12 | 甲冑画像No.13 | 甲冑画像No.14 | 甲冑画像No.15 |
| 甲冑画像No.16 | 甲冑画像No.17 | 甲冑画像No.18 | 甲冑画像No.19 |
| 他武具No.1 | 他武具No.2 | 他武具No.3 | 他武具No.4 | 他武具No.5 |
| 他武具No.6 | 他武具No.7 | 他武具No.8 | 他武具No.9 |
| 足軽胴 No.1 | 足軽胴 No.2 |
| 具足構成 | 用語辞典 | 甲冑紀行 | 展示情報 | 書籍紹介 | 武将フィギュア |
| 甲冑随想 | リンク集 |

甲冑 TOPページへ


© All rights reserved.