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〜 具足櫓 〜
甲冑・鎧・兜・具足・
戦国武将フィギュアのページ
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【キット内容】
ROMEO MODELS 製 の「SAMURAI OF THE MOMOYAMA PERIOD (JAPAN 1574-1602) (54mm)」です。
材質はホワイトメタルです。 キットの胸取胴を利用して、今回は前田利家(まえだとしいえ)のものと言われる胸取胴の甲冑に改造してみたいと思います。 この甲冑は2002年に名古屋の観音寺(かんのんじ)で発見されたもので、発見された時はバラバラに壊れた状態だったそうです。 お寺に伝わる「浄海雑記(じょうかいざっき)」と言う書物によれば、前田利家(まえだとしいえ)が1576年に越前(えちぜん=福井県)府中城(ふちゅうじょう)に入城した時に着ていた甲冑とされ、壊れる前の状態が絵図で記載されています。
【兜】
絵図から推測すると、一枚ジコロの烏帽子形兜だったようですのでそのようにしてみます。 ただし烏帽子形兜は土台の兜鉢しか残っておらず、どのような形状の烏帽子だったのか詳細は不明ですのであくまでも絵図からの想像です。 兜の下に髪の毛を追加します。
【面具】
残欠として垂の板札の一部のみが残っているようです。 絵図には「猿頬」の目下頬との記載がありますので、それっぽく作ってみます。
【胴】
鎬は削り取り、横矧の桶側胴にします。 なお胴は腰の所で上下に切断し、全体の長さを伸ばします。 草摺は素懸威になっていますので毛引威にします。
【腕】
袖は絵図にある額袖に改造してみます。
【足】
臑当は越中臑当にし、ホ具摺を追加します。
【その他】
キットは板合当理に丸受筒となっていますので、一般的な合当理と角受筒に改造します。 打刀は鞘に納め、代わりに朱柄槍の十文字槍(じゅうもんじやり)を持たせてみたいと思います。 なお打刀は前田利家(まえだとしいえ)が桶狭間の合戦(おけはざまのかっせん)に使用したと言われ、今は尾山神社(おやまじんじゃ)に納められている打刀に、背中の指物は前田利家(まえだとしいえ)の自身指物と言われている「総金(そうきん)の靡」に改造してみたいと思います。
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▼ 完成品 ▼
【製作後記】
草摺や佩楯の洒落(しゃれ)た意匠(いしょう=デザイン)は、若い頃に傾奇者(かぶきもの)と呼ばれていた前田利家(まえだとしいえ)が着ていたとしてもおかしくない感じもします。 「総金(そうきん)の靡」は実物の寸法を1/32にして作ってみましたが、あんなに切り込みが入っていると風のない時は全てダラリと下がってしまっていたのではと思いました。 額袖の金と朱(しゅ)の丸を大きく描き過ぎました。 籠手掛の管・籠手付綰は見えないと思って省略したのですが、作り込んでおけばよかったです。 一般的に額袖が登場するのは前田利家(まえだとしいえ)が活躍した時代より大分(だいぶ)後になってからだと言われています。 額袖が実は通説よりももっと早い時代から存在していたのか、あるいは「浄海雑記(じょうかいざっき)」が書かれたのは1800年代とされているようですので、それまでの間に持ち込まれた袖(あるいは甲冑自体も?)なのか、詳細は不明です。 額袖以外にも、1576年から8年後の1584年に前田利家が着ていたとされる甲冑(前田利家(Ver.B))には背中に合当理が無く、腰指を使っていたとされる点、胴が二枚胴である点も含めて、この甲冑の伝来については謎が多いと思います。
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