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〜 具足櫓 〜
甲冑・鎧・兜・具足・
戦国武将フィギュアのページ
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【キット内容】
ALEXANDROS MODELS 製 の「SAMURAI OF TOSHIIE'S ARMY,1584(70mm)」です。
材質はレジンで、タイトルは「前田利家(まえだとしいえ)軍の侍」となっています。 キットの胴は、1584年の末森城の戦い(すえもりじょうのたたかい)で城を守り抜いた奥村永福(おくむらながとみ)に、褒美(ほうび)として与えたと言われている、「金小札白糸素懸威胴丸具足」を参考にしていると思われます。 この具足は後に奥村家より前田綱紀(まえだつなのり:五代藩主)に献上されたそうです。 キットの武将は身長があってスタイルが良すぎる印象もありましたが、前田利家(まえだとしいえ)も身長が約180cmあったと言われているので、前田利家(まえだとしいえ)に改造してみたいと思います。 前田利家(まえだとしいえ)は以前にも作製していますので、そちらは「前田利家(Ver.A)」、今回を「前田利家(Ver.B)」とします。
【兜】
キットは瓜形兜のような兜と頭形兜の2つから好きな方を選べるようになっていますが、今回は頭形兜を使って「金箔押熨斗烏帽子形兜」に改造してみたいと思います。 キットのシコロは5段ですが、実物は4段ですのでそのようにします。 シコロの上に白熊の引廻しを追加します。 兜の下には髪の毛が表現されていますのでそのまま使用します。
【面具】
特に改造は加えません。
【胴】
「金小札白糸素懸威胴丸具足」は初期の当世具足と言われ、胸板・脇板の形状などに特徴があります。 背中に総角付環を追加します。 また実物には背中の腰の辺りに紐(ひも)が付いているのですが、この用途は不明です。 揺絲は素懸威にし、長さも短くします。 草摺は裾板の縁(ふち)が反っているのでそのように改造し、数も七間(ななけん=七枚)なので修正します。 なお正面の草摺の1枚目の板と射向草摺の1枚目の板が蝶番(ちょうつがい)で連結されているようですのでそのようにします。
【腕】
キットには袖が付いていませんが、 当世具足は袖を付けずに着る場合もあったようですし、袖を作る手間も省(はぶ)けるので今回は無しのままとします。
【足】
1590年に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が伊達政宗(だてまさむね)に与えた甲冑(81)の臑当を参考に、立挙の無い臑当にします。 踏込佩楯も同じ甲冑を参考に、小篠の千切り踏込にします。
【その他】
キットの首元には立襟(たてえり)の満智羅のようなモールドがありますが、普通の着物に改造します。 具足櫃の由緒書によると、この甲冑と一緒にその日に使っていた「鍾馗の馬幟」・「金切裂腰差」・「大小の刀(だいしょうのかたな)」も与えたそうです。 せっかくなので「金切裂腰差」を作成してみたいと思います。 腰差はおいね刺しにして取り付けようと思っていたのですが、【胴】のところで「用途は不明」と書いた背中の紐(ひも)について、「指物の待受止め」と言う解説が図録「婆娑羅(ばさら)たちの武装」に載っていると教えて頂きました。 待受があったとすると腰差ではなく、一般的な受筒を用(もち)いた旗指物だったのかとも考えたのですが、そうなると合当理がありません。 総角付環を合当理として使ったのかとも想像しましたが、具足櫃の由緒書にわざわざ「腰差」と書いているので、やはり腰に差し、この紐(ひも)で腰差を固定していたという想定にしてみます。 なお前田利家(まえだとしいえ)の自身指物として「金靡」が残っているようですが、そちらは「前田利家(Ver.A)」の時に作ったので、今回は旗指物の本でよく見かける切裂の形式で作ってみたいと思います。 1616年に書かれたとされる「加賀藩旗指物(かがはんはたさしもの)」に載っていた腰差の寸法を参考にしてみます。 槍(やり)はこれまで朱柄槍にすることが多かったので、今回は普通の槍(やり)にしたいと思います。
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▼ 完成品 ▼
【製作後記】
金色の部分は塗装ではなく、実際に金箔を押してみようと思ってネットで金箔の代用品を購入して貼ってみたのですが、箔(はく)が割れたり皺(しわ)が出来たりして上手くいかなかったので結局は塗装することにしました。 金箔押しの面具は、実例をあまり見たことが無いのですが、今回は豪華に見えるよう、三具も合わせて金色にしてみました。 初期の当世具足と言われる胴ですが、兜と胴以外は残っていないので、どのような三具にすればそれらしく見えるのか考えるのが難しかったです。 腰差は竿(さお)を直接、帯(おび)に巻き込んで固定し、さらに背中の紐(ひも)で縛っていたと言う想定で作ってみましたが、それでは竿(さお)の根本部分しか固定できず安定しなさそうですので、もしかすると竿(さお)の上部にも別の紐(ひも)を結んで総角付環に固定する、あるいは胴の胸の前あたりで結んで固定していたのかもしれません。 実際、どのように着けていたのかは不明です。 腰差専用の短い受筒もあるようですので、その様なものも使用していたのかもしれません。 もともと六間(ろっけん=六枚)だった草摺を一間(いっけん=一枚)増やしたので、当たり前のことですが胴回(どうまわ)りに七枚の草摺をきちんと収(おさ)める事が出来ませんでした。 なお刀(かたな)の鞘は金圧出にしてみました。
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