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〜 具足櫓 〜
甲冑・鎧・兜・具足・
戦国武将フィギュアのページ
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【キット内容】
PEGASO MODELS 製 の「SAMURAI WARRIOR LATE HEIAN PERIOD 898-1185(90mm)」です。
材質はホワイトメタル製で、海外製ですが細部の造形までとても良く出来ているキットだと思います。 ただ、左膝(ひだりひざ)を岩に突(つ)いて弓を曳(ひ)く姿勢はどうしても自分のイメージに合わなかったので、今回は両足で立った状態に改造したいと思います。
【兜】
この時代は左右一個所ずつ、計二個所に響の孔がありますので、そこから出る兜の緒を再現し、三光鋲、兜鉢にシコロを留める鋲(びょう)を追加します。 キットの兜は立物として鍬形か龍頭を選べるようになっています。 平安時代の兜には立物が付いていなものが多いイメージがあるのですが、せっかくなので今回は長野県の清水寺(せいすいじ)の「鉄鍬形」を参考に自作してみたいと思います。 実物は土台の縁(ふち)が一部欠損しているようですので、土台の全周に縁(ふち)を再現します。 この時代は烏帽子を付け、天辺の穴から烏帽子を出した状態で兜をかぶるため、髪の毛が兜の外に出ることがありませんので髪の毛は追加しません。
【面具】
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【胴】
両足で立った姿勢に合わせて草摺の位置と曲がり具合を修正します。 前草摺と引敷草摺は左右の草摺より1段短く裾板を分割しない「赤木家伝来・赤韋威」と同じ形式になっています。 脇楯の緒(お)を修正します。 前草摺の上に垂れている引合緒のようなモールドは削り取ります。
【腕】
籠手の座盤ですが、鎌倉時代後期に描かれた「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」に見られるような蝶番(ちょうつがい)の付いた形状をしていますので、蝶番(ちょうつがい)のない形にしてみようと思います。 手首や手甲の緒(お)の形状を修正し、親指に懸ける緒(お)も追加します。 水呑緒を大袖の裏から取る形式にします。
【足】
両足で立った状態にし、貫と千鳥掛の臑当を修正してみます。
【その他】
弓で狙いをつける時に片目を瞑(つぶ)ることがあるのかどうか分かりませんが、修正するのは大変そうなのでそのままにします。 首の角度、箙・太刀の取り付け部分を少し修正します。 番(つが)えている矢がちょうど鏃の大きな矢ですので、上差で敵将を狙っているという想定にしてみます。 さすがに篦に持ち主の名前を書くことは断念しましたが、箙の中も含めて矢を三立羽にします。 弦巻には籐編(とうあ)みの模様を付けます。 総角を含め、緒(お)の端(はじ)は切総とし、水呑緒は総角へ結ぶ方式に修正します。 馬手袖の裏には矢摺韋が再現されているのですが、射向袖の裏にも矢摺韋が付いているのでそちらは削り落とします。 弓のユヅカと矢摺藤を色の塗り分けで再現します。 威は平安時代後期、1156年の「保元の乱(ほうげんのらん)」を記した「保元物語(ほうげんものがたり)」にも登場する「伏縄目威」に挑戦してみたいと思います。
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▼ 完成品 ▼
▼ 鉄鍬形Ver. ▼
【製作後記】
毎度のことですが、袴(はかま=ズボン)などの形状や質感をそれらしく造形するのが難しく、不自然になってしまいました。 鍬形の大きさは実寸をもとに計算したのですが、少し小さいような印象を受けます。 シコロはもっと広がりの少ない杉形シコロにした方が良かったと思います。 腰(こし)の太刀は上杉家(うえすぎけ)の兵庫鎖太刀を参考にしてみました。 大鎧は当世具足以上に勉強不足なので、今回の絵韋の柄(がら)や耳糸の柄(がら)、逆頬箙が平安時代後期と言う想定に合っているのかどうかは分かりません。 貫の構造や裏側の色・逆頬箙の構造や裏側の色も、詳しい資料が無かったので想像です。 太刀・箙の腰への取り付け方についても同様です。 弓の曲がり具合はもっと緩(ゆる)やかな方が良かったと思います。 水呑鐶を金色に塗ってしまいましたが、この時代は黒漆塗が一般的だったようです。 水呑鐶への水呑緒の結び方は厳島神社の小桜韋威鎧の復元品を参考に、鐶を通してU字型に折り曲げた緒の端を糸で括(くく)る方式にしたのですが、片綰(かたわな)結びか四方手結びにした方が良かったと思います。 伏縄目威が実際どのような威だったのかについては手元の資料が乏しく、今回取り上げた以外の説もあるようですが、いずれにしてもなかなか特徴的な威だったと思います。
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